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相生農法とその心得

相生農法とその心得

農哲学院が実践する、生命畏敬型農法「相生農法(そうせいのうほう)」

相生農法とは、すべての生命に与えられた原初的環境(生命の空
間)を尊重し、その空間を成す生命の調和に他の草木や作物を同
参させようとする農法です。

その意味では、決まったやり方というものがなく、マニュアルのない農
法と言えますが、若いて言えば、自然の循環の哲理を謙虚に学び
つつ、その循環の原理を活かせた潤な土と清浄な水によって美しい
植物、無数の生き物の織り奏でる、生命の空間を目指す農法と
いえます。

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相生農法農苑の名称である『貊(みゃく)』の由来
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『貊』とは、東アジアの文化圏で鉄を食べて生きた神獣として知られ
ています。

人間が岩穴式住居で生活を始めたとき、『貊』はいつも人のそばに
居て、毒虫や猛獣から人を守り、岩穴の中の邪気を除去したとい
われます。 (李時珍『本草網目』参照)

鉄に象徴される破壊的な『機械文明から人々を守る農苑』という
意味を込めて、農哲学院が行う相生農法農苑の名称を・・・・・
『貊(みゃく)』と命名しました。



農苑『貊』の主な農園構成 

※ 2009年7月現在の所有面積=55ヘクタール
  (東京ドーム11個分)

※福井農苑で行う、借地での田畑面積は入っていません。

主な農苑構成は、農哲学院ホームページへ




「相生農法(そうせいのうほう)」の心得


1.植物が自らの秘密を明らかにする接し方をしよう。

植物は、母たる大地と父たる太陽の助けを得て、無機物を有機物に変える偉大な超能力者であり、自らの命の犠牲によって人間を含むすべての動物を養う聖者である。母たる大地に対する親孝行も右に出る存在はいない。人間と同じ命でありながら人間の傲慢と無知を責めず、いつも黙々と自分の命を捧げてくださる植物の偉大さを知り、その命に対する畏敬の念が『農事』の始まりである。

植物は、人間と次元が違うコミュニケーションの方法を持つ故に、植物との交流には人間同士とは違うコミュニケーションの方法が必要である。その方法を体知できる時初めて、植物は私たちにその“いのちの秘密”を教えてくれる。その時、真の『農事』が始まる。植物が偉大な“いのち”である自覚、つまり、植物という“いのち”に対する畏敬の念の体知が、植物とのコミュニケーションの最善の方法である。

植物(作物)が教えてくれる“いのちの秘密”によって、我々の祖先たちは『農事』をし、植物(作物)の“いのち”を食べ物として感謝の心でいただいた。もともと、植物(作物)と人間とは、心を通わせることが出来るはずである。同じ“いのち”として心を共にした時、人間という心の友の為に植物(作物)は、渇きを我慢する、寒さに耐える・・・優しい心の持ち主である。

それが、いつの間にか、植物(作物)を経済論理に組み込み、モノとしてのみ扱う人間が増えた結果、大多数の人間が、植物(作物)と心を通わせることが出来無くなってしまった。

・・・植物が自らの秘密を明らかにする接し方をしよう。


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2.植物が願うことだけやってあげよう。

『農事』とは、植物(作物)を人間の都合で一ヶ所に集めて生育するようにした時から始まった。その時、人間と植物はお互いに“いのち”を尊重しあい、お互いに勝手な振る舞いをしなかった。そうする事によって、植物(作物)自身が最高の境地に到達すると、自身の命はもちろん、自分の分身まで喜んで人間に捧げてくれた。

しかし、こうした植物(作物)の献身を忘れ、感謝の心を失い、現代の人間は、大切な伴侶をいじめる暴挙に出た。今、直ちに人間の都合による勝手な振る舞いを止めるべきである。今、先人と植物との約束を思い出し、『農事』の原点に戻るべきである。

人間の接し方・接する心によって、植物(作物)は大きく影響する。人間に個性があるように、植物にも個性があるのは当然である。人間が生きるうえで必要なものがあるように、植物(作物)にもその都度何か必要なものがある。ひたすら謙虚に接すれば、植物(作物)が何を欲しがっているかが分かる。本当に必要なものは何かを感じ取って、それを与えてあげる。また、植物(作物)が困っていることを察し、植物(作物)が出来ない事に手を貸すことが『農事』の基本である。

植物(作物)に耳を傾け、すべてを“いのち”の対話で決めて行こうとする謙虚な心があれば、智慧がやってくる。

植物(作物)が望んでもいないのに、肥料をたくさん与えて「早く大きくなれ」と、人間の都合で勝手なお世話をする。人間に置き換えて考えるならば、3歳の子供に「早く大人になれ」と、ハンバーグ、ステーキをたくさん与えることと同じである。3歳の子供に「身体に良い」からと、牛乳をたくさん与えて、急に健康な12歳の体となれるだろうか? 植物(作物)に無理をさせて育てても、むしろバランスを崩し、植物(作物)も、それをいただく人間も病気になってしまう。そんなことが起きれば、もちろん人間だけでなく、植物(作物)からも苦情が出るはずである。

植物は本来、自らの時を選び、自ら育ち、自ら守り、自ら子孫を残すようになっている。人間は、その“いのち”を最大に尊重し、見守り、観察し、勝手な振る舞いを一切やめるべきである。

・・・植物が願うことだけやってあげよう。

その謙虚な心があれば、現代科学による技術も活かされるだろう。


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3.人間の為に人間社会に嫁いできた植物(作物)に、誠心(まごころ)で元の環境を与えよう。

自然の世界で自由に生きてきた植物を、人間の都合で一ヶ所に集団移住させたのが『農事』の始まりである・・・

要するに植物(作物)は、人間を信じ頼りにして慣れない環境である人間社会に嫁いできた花嫁である。元々の環境では、隣にどんな仲間がいたのか、何を好んだのか。人間の都合で新しい環境に無理やり連れ出され大変な思いをする植物(作物)を常に哀れみ、思いやりに基づいた元の環境を維持する努力。植物(作物)が生きやすい環境を整えてあげようとする努力が、『農事』の技術である。

・・・誠心(まごころ)で、植物(作物)に元の環境を与えよう。




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